長崎県「原爆救援列車」モニュメント(3)原爆救援列車運行の地

JR 長崎本線の旧線と新線が合流したその先、道路沿いにあるモニュメントです。路面電車の岩屋橋から歩いてすぐです。爆心地から北約1kmの位置です。
1945年(昭和20年)8月9日の原子爆弾投下直後から、救護活動のために「救援列車」が運行されました。正午過ぎには最初の救援列車(311レ)が出発、列車は爆心地から1.4kmほど離れた道ノ尾駅と浦上駅の中間にある昭圓寺(しょうえんじ)付近でこれ以上進むことが難しくなり、そこで負傷者を収容し諫早へと向かったそうです。
※ 311レ … 鳥栖駅 6時40分発、311号列車。原子爆弾の投下は午前11時58分、11時2分に炸裂。




引用:NHK 原爆の記憶 ヒロシマ・ナガサキ「原爆ノート」救援列車より ~ 救援列車の第1号は、諫早方面から長崎方面へ向かっていた列車で、原爆が投下された時刻には大勢の客を乗せ、定刻より15分遅れで長与駅に停車していました。この遅れがなければ、爆心地付近を走っていたことになります。列車はその後、道ノ尾駅まで進んで乗客を降ろし、線路の状況を確認しながら長崎市方面に向かいました。そして、爆心地からおよそ1500メートルにある清水町の照円寺下に達すると、汽笛を何度も鳴らして救援の到着を知らせ、およそ700人の負傷者を乗せて諫早まで引き返したとされます。

311列車の後、その日のうちに4本の列車が救援列車として浦上川鉄橋直前(モニュメントから500mほど長崎寄り)まで行って、爆風で橋脚がずれていたためそれ以上先には進めなかったそうです。さらにもう1本の救援列車が運転されたとの話もあるが確認されていないそうです。

↑ 浦上・長崎方向 ↓ 西浦上(旧線)・諫早方面




電停から踏切まで100mほど。横断歩道は左右に迂回。

以上、3か所に設置された原爆救援列車モニュメントでした。