貝塚公園のSLと寝台客車
8月お盆の入り、所要で出かけた時のお立ち寄りです。福岡市営地下鉄と西鉄貝塚線の接続駅があります。この日はどちらも利用せず、たまたま待ち時間なしでやってきた路線バスに乗りました。天神の南側へ行くようにしていたので、地下鉄だと少し歩かなければなりません。そこへちょうど、渡辺通り ( Watanabedori ) へ抜けるバスがやってきたのです。
さて、貝塚公園ですが、かつてここには競輪場があったそうです。その後、交通をテーマにした公園として整備され、ゴーカートのコースも設置されました。ただ、遊園地のそれと違って、子ども達に交通ルールを体験してもらおうという趣旨のコースです。コースは今も残っていますが、運営が続いてるかは確かめてません。
そして、公園の一角、国道3号線側に写真の車両が静態保存されています。
9600形の蒸気機関車と20系寝台客車です。客車は急行「かいもん」と表示されますが、はたして9600が牽引した実績はあるのかな?
私は小学校卒業まで筑豊 ( Chikuho ) に住んでいました。家からすぐのところに後藤寺 ( Gotoji ) という中規模の駅があり、夕方が近づく頃になるときまって、キィ~ンというレールのきしむ音が聞こえてきます。貨物列車の仕分けの始まりです。
その音のつられるようにして、走って見に行ったものです。9600、キューロクが貨車を突放するのを飽きずにながめていました。また、私の家側にはタイル工場があり、原料の鉱石を積んだトキやトムが手で触れる位置に止まっているのもいつものことでした。無蓋車の側面を開いて、ブルドーザーで鉱石を運んでいるとき以外は人気もなく、今となっては時効でしょうが乗って遊んだこともあります。そうこうしてるとそこに機関車がやってきて、危うくそのまま連結して引っ張っていかれそうになったなんてこともあったりして。もちろん機関車の進入を察知していち早く降車しましたが。目の前に生きた蒸気機関車がいた子ども時代でした。
そして、今考えると他にも危険な遊びをしてました。炭坑の廃屋で遊んだり、ボタ山に登ったり、今の子ども達やその親からしたらとうてい信じられない危険なことをやらかしてたものでした。
話が長くなってるので、20系の思い出を少しだけ。これも小さかった頃、何歳頃だったか記憶は定かでないですが 、東京で行われた親戚の結婚式に出るため、「あさかぜ」号だったかな?、ともかく寝台特急で東京まで行ったのです。夜になって下ろされた窓のシェードのすき間から、寝もせずにいつまでも外をのぞいていました。ほとんどなにも見えないなか、ときおり操車場らしき場所が見え、普段見ることのない直流電気機関車に興奮したものでした。EH-10も見れたような、記憶が残ってます。
結婚式に出るのに白いタイツをはかされたのが嫌だった記憶も残ってます。












そういえば、非電化の日田市内で交流電気機関車とブルートレインの保存車両が目にとまった記憶が…。いつか、確かめに行きましょう。(ネットで調べて存在は確認したけど、目にした場所とは違うような気が…。移動したかな。)